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2022年11月11日金曜日

なぜ日本人は体罰を正当化するのか

 ある調査では日本人の4割が体罰を容認しているという結果が出ている。日本人は取り合えず力で生徒をねじ伏せれば善人になると信じ込んでるらしい。確かに悪ガキにはそれなりの処罰は受けるべきだが、成敗するだけでそいつは変わるだろうか?そもそもなぜ悪人になっただろうか?生まれた時から悪だったのか?昔悪人だった者ならわかるだろう。悪を行う本当の理由は過信からではなく、「寂しさ」、「孤独」、「承認欲求」から来るものだと。

日本人はとにかくスキルが高い人を過大評価する傾向がある。成績のいい人、運動ができる人、喧嘩が強い人、生産率が高い人、トーク力が高い人。別に突出した能力が無くても平均値ならまだ問題ない。一番の問題は平均以下のスキルの人たちである。彼らは「馬鹿者」「無能」呼ばわりされ、社会から批判を浴び続ける人生を送ることになる。しかしどんなに無能だろうと同じ人間。承認欲求は存在する。無能でも暖かく迎える人も存在するが日本では非常に少ない。日本人は「能力」だけで人間性を見るのである。誰にも認められない場合はどうすればいいのか?悪を行うことで周りに自分の存在を認めさせようとするのである。周囲が自分を恐れてるというだけで認めてもらった気になっているのである。「もし自分より強い奴が表れてもその時だけ従順なフリをすればいい、そいつが消えたらまた自分が王様だ」、これが悪ガキの考え方なのである。体罰で彼らを成敗してもまた別のところで悪ガキになるだけだ。賢い方はもうお気づきだろう。なぜ日本は治安はいいのに冷酷な人が多いのかを。彼らが人前で悪を実行しないのは別に善意があるわけではなく、体罰が怖いから。「日本にルールが多い原因」で説明したが、日本人は善悪の基準ではなくルールだけに従って生きてる。だから誰も見てないところで平気で残酷なことが出来るのだ。つまり体罰は必ずしも正しい防止策ではないのである。悪事を他所に移すだけである。罰を下しても罪人は改心するわけではないし、承認欲が満たされない限り悪事を働き続けるだろう。日本社会では善人・悪人がお互いを力でねじ伏せる負のスパイラルが生じている。同じことが繰り返されるだけなのに。体罰が正しいという時代遅れな思考を今でも信じ続けてるのだろう。だからヤクザとか暴走族みたいな集団が出来てしまうのかもしれない。彼らも同じゴミ国家日本の被害者だというのに。勘違いしないでほしいが私は別に彼らを無罪だと言ってるのではない。ただ、愛情に満ちた環境で育っていれば別の人間に慣れたと言っているのだ。悪人に一番必要なのは体罰よりも愛と説得なのだ。

とにかく。なんでも処罰で解決しようとしてるこの国の方針では悪人が更生することもないし、反省もしないだろう。規則がますます厳格化するこの国がいずれ隣国みたいな独裁国家にならないことを祈るべきである。