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2018年7月8日日曜日

日本はすごい国になることを止めたほうがいい

「日本はすごい国」を連呼する日本賞賛番組がよく放送されてる。確かに技術力、経済力、清潔さなどを見ればそう見えるかもしれない。しかしはっきり言って自意識過剰ではないか?日本が凄い国に見えるのは日本人が凄いのではなく国民の我慢が凄いからである。時間に厳しく、見た目にこだわり、些細なミスにも異常にうるさい。こんなんではストレスが溜まるだけである。いくらすごくても「幸せ」じゃなきゃ意味が無いではないか?日本は豊かな国なのに自殺率が高く、幸福度や自由度も低い。なぜか?なぜなら日本という国は個人の「自由」を犠牲にして国力を得ているからだ。いつも思うが日本はいい加減すごい国になることをやめた方がいい。そもそもこんな国(国士が狭い、資源も無い、災害が多い、平地が少ない、気候も悪い、隣も頼りない国ばかり)がすごい国を目指すこと自体馬鹿げている。凄い国に成らなくてもいいから個人の自由を大切にする国になるべきである。そんなことしたら日本の国力は落ちるって?かもな。世界で絶賛されてる日本の商品、技術、アニメ、漫画、おもてなし精神などは劣化もしくは無くなるだろう。だが一番大事なのは幸福度ではないか?人の幸せに比べれば日本の技術力など小さなものである。別に世界一になる必要はない。国民が幸せならそれで十分だ。大胆な発想かもしれないが日本という国自体無くなっても構わないと思ってる。人が幸せになれるのなら「国」など大したものではない。海外の日系人を見れば明白だ。日本の文化など受け継いでいないが十分に幸せだ。国など、誇りなど、文化など、名誉など、幸せになるのに必要なものではない。日本国民はいい加減それに気づくべきだ。おとなしく欧米化もしくは南米化するべきである。